サッカーの2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会で日本を指揮したフィリップ・トルシエ監督を通訳兼アシスタントとして支えたフローラン・ダバディー氏(49)が13日までに取材に応じ、生まれ育った都市で開かれたパリ五輪を「無気力とも言われるフランスの若者を触発し、混沌とする移民社会で国民が一致団結して燃えた大会だった。古い五輪と新しい五輪の転換点で若返りに成功した」と総括した。
近年はキャスターや作家としても活躍し、地元スポーツ紙「レキップ」の日本特派員を務めるダバディー氏は、都市型スポーツを集めたコンコルド広場が象徴的な場所になったと強調。「五輪最多のチケット販売だけでなく、テレビ視聴率は驚異的で、レキップを含めて紙媒体も売り上げが絶好調だった」と述べた。一方、8日に閉幕したパラリンピックでは「パラスポーツへの理解とともに地下鉄など公共交通機関のバリアフリー化が遅れており、問題を浮き彫りにした」とも指摘した。