石川町の誇り「石文化」つなぐ 小学校に鉱石クラブ、保存会が協力

10/15 08:10

坑道跡に入り、相田さん(左)から石川町の鉱山の歴史や鉱石について学ぶ児童=石川町・和久観音山鉱山跡

 日本三大鉱物産地の一つと称される福島県石川町で、鉱山跡や採掘される鉱物など、町の歴史や魅力を次世代につなぐ動きが活発化している。1970年代ごろまで町の一大産業だった歴史を伝えてきた語り部らが高齢化している中、石川小は本年度、「鉱石クラブ」を創設。児童たちが古里の「石文化」を学ぶ。石川鉱石採掘跡保存会のメンバーは「石川の鉱石を語り継ぐ存在になってくれたらうれしい」と期待を寄せている。

 鉱山跡で活動、採取も 

 「昔の石川町には鉱山が140カ所くらいあったんだよ」。町内にある和久(わぐ)観音山鉱山跡の坑道跡には9月、石川鉱石採掘跡保存会長の相田義男さん(71)と、ヘルメットをかぶった石川小の子どもたちの姿があった。児童たちは相田さんの説明を聞き、坑内の岩を指さして「この鉱物は何ですか」と質問。また坑道近くの鉱石を採取できる場所では、シャベルやバケツを手にした児童が「これは石英かな」「ざくろ石が欲しい」と声を出しながら作業に没頭した。

 町内では70年代ごろまで石英や長石が盛んに採掘された。相田さんによると、長石は焼き物の上薬の材料として、水郡線で岐阜や愛知に運ばれていた。しかし、70年代以降は海外産の鉱物に押され、鉱山が次々と閉業していった。「町の誇り」である歴史を伝えていた石川鉱石採掘跡保存会もかつては十数人の会員がいたが、現在は高齢化で2、3人にまで減少。継承が課題となっていた。

 相田さんは「鉱山は当時の一大産業で、鉱物は石川の誇りだが、どんどん薄れていく感覚があり、先細りが不安」と話す。だからこそ、相田さんは「地元に鉱石が好きな子どもたちがいるのが心強い」と鉱石クラブの活動を歓迎している。

 町内では、鉱山の歴史などを伝える町立歴史民俗資料館「イシニクル」が今年、移転オープンしたことも重なり、町の魅力を再認識する機運が高まっている。石川小教員で、鉱石クラブ顧問の草野正夫さん(64)は「石への関心が高まっている今、石好きな児童が学べる場をつくりたい」と話す。

 4~6年生17人が集まり、活動する鉱石クラブのメンバーの一人、羽田悠真さん(12)はクラブの活動外でも鉱山などに通い、大好きな石に触れている。「石川の鉱石は一見地味でも一つ一つに個性がある。いろんな石と出合えるのが楽しい」と笑顔を見せる。(秋山敬祐)

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 石川町の鉱石 岐阜県苗木、滋賀県田ノ上の両地方と並ぶ日本三大鉱物産地とされる。石川町では明治時代から1973年ごろまで、石英や長石が採掘された。町内では雲母、電気石、ざくろ石なども発見されている。種類の多さや結晶の大きさが特徴で、「石川のペグマタイト鉱物と和久観音山鉱床」は県の天然記念物に指定されている。町内では現在、産業としての採掘活動は行われていない。

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