東京電力福島第1原発事故で浪江町、川俣町山木屋地区、飯舘村の避難指示が帰還困難区域を除く地域で解除されてから、31日で丸6年となる。住民が地域ごとの特性を生かし、復興への歩みを続けている。
移住定住の促進に力、農畜産業...鍵
【飯舘村】東日本大震災当時の住民登録は6509人。村内居住者は1503人(1日現在)と震災前の3割に満たないのが現状で村は移住定住の促進に力を入れている。
産業復興の鍵を握るのが農畜産業だ。震災前、村内には約210軒の畜産農家がおり、約1200頭の牛が飼育されていた。現在は長期避難などの影響で十数軒にまで減った。昨年4月に避難先から帰還した山田豊さん(40)は、約150頭の牛を飼育する畜産農家の一人。「衣食住を支えるための雇用が生まれれば、村に帰ってくる人が増えるはず。行政には村民を後押しするサポートを展開してほしい」と訴える。
昨年は震災後初めて村内での村産牛肉の対面販売が行われ、畜産業の再生を前進させる好機となった。山田さんによると、震災後は東京での競りで県産の枝肉は1キロ当たり200~500円安く取引され、価格の回復は途上だ。山田さんは「今後もおいしい肉を生産し続け、県産牛の質の高さを認知してもらうことで事態を打開し、価値の底上げを図りたい」と力を込める。
農業の再生と若年層の移住促進
【川俣町山木屋地区】震災時の住民登録は1252人。原発事故後は若年層の流出が目立ち、居住者332人(1日現在)のうち、高齢者世帯が半数近くを占める。基幹産業である農業の再生と、若年層を中心とした地区への移住定住の促進が課題となっている。
町によると、営農再開面積は本年度末で237ヘクタールと震災前の6割を超え、農業再生の動きが広がりつつある。町は新規就農や移住を希望する人向けの「かわまた体験農園」を整備し、就農や移住後のミスマッチを減らすことで人口増につなげたい考えだ。国道114号の整備も完了し、道路交通網の改善で産業再生や観光振興が期待されている。
駅周辺の再開発、生活環境改善に注力
【浪江町】震災当時に約2万1540人が住んでいた町内には2月末現在で1964人が暮らし、居住率は震災前の1割未満にとどまる。町は、JR浪江駅周辺の再開発を進め、住宅や商業施設を段階的に整備する。政府が4月1日に川添地区に福島国際研究教育機構を設立する中、町は立地に伴う人口流入に備える必要があるとして、生活環境の改善に注力する方針だ。
その一環として昨年6月には浪江駅西側に複合施設「ふれあいセンターなみえ」が開所し、多様な世代が集い活動する拠点ができた。新年度は子どもの数が震災後初めて100人を超える見通しで、町を次世代につなぐ取り組みが前進する。