13日に92歳で死去した詩人の谷川俊太郎さんは、県内でも多くの作品を残した。震災と原発事故後、新たに開校した双葉郡の中高一貫校「ふたば未来学園」(広野町)と、義務教育学校「学び舎(や)ゆめの森」(大熊町)の校歌の作詞を手がけ、歌詞を通して子どもたちを後押しした。
「シンプルな言葉の中に大熊が目指す教育、子どもの姿を凝縮して表していただいた」。学び舎ゆめの森の増子啓信副校長(53)は、校歌制作に携わった当時を懐かしむ。
谷川さんから依頼され、校舎の図面や目指す教育の姿、子どもたちの思いを書いた手紙などを送った。「ゆめのもりで まなんであそぶ」などの歌詞は、学校の目指す姿が表現された言葉だったとし、増子副校長は「校歌が学校にも子どもにも指針になっている。感謝しかない」と惜しんだ。
「地球に生きる人はみな 違うからこそ面白い」(ふたば未来学園)や「ひとりもいいけど でも やっぱりみんなといっしょがいいな」(学び舎ゆめの森)など、両校の校歌には、子どもの背中を後押しするような言葉が詰まっていた。
ふたば未来学園の開校時に副校長を務めていた、学び舎ゆめの森の南郷市兵校長(45)は「両校ともに、子どもの学びの道しるべとなるような詩を残していただいた」と感謝した。
学び舎ゆめの森では19日、谷川さんの追悼コーナーが設けられ、サインが入った校歌の歌詞カードや本などが並んだ。後藤愛琉(あいる)さん(12)は「校歌を初めて聞いた時から、歌詞の楽しそうな雰囲気が好きだった」とし「これからもたくさん歌っていきたい」と話した。
合唱曲、レリーフにも
谷川さんは生前、県内各地で県民と多くの思い出をつくった。
1973年の金透小(郡山市)創立100周年に合わせ、「金透讃歌」を作詞した。作曲したのは今年7月に亡くなった同市出身の作曲家湯浅譲二さん。長年の友人だった湯浅さんと共に同校を訪れたこともある。嶋忠夫校長は「校歌と共に親しまれてきた大切な曲。これからも歌い継いでいきたい」と話す。
谷川さんの詩は、合唱曲にも数多く採用されている。旧安積女子高(現安積黎明高)合唱部の委嘱作品「女に」は、谷川さんの詩集「女に」に作曲家鈴木輝昭さんが作曲した組曲。97年の初演で指揮した県合唱連盟理事長の菅野正美さん(69)は「この作品に曲を付けたい、という鈴木さんの強い意志があった。詩と曲が一つになった名曲です」と語る。
いわき市では、08年のアリオス1次オープン時に「アリオスに寄せて」と題した4編の組詩を寄せた。当時から働く佐藤仁宣さん(46)は「アリオスの原点であり、われわれスタッフの合言葉」と話す。詩は中劇場の外壁にレリーフとして刻まれている。
谷川さんは、詩人草野心平(いわき市出身)とも親交が深く、心平が死去した1988年11月には「送る集い」で弔辞を読んだこともあった。
和合さんとも共演「背中追い続ける」
福島市在住の詩人和合亮一さん(56)は2004年に同市で開かれた「真夏のソネット」や、08年の全国生涯学習フェスティバルなどで共演し、25年ほど交流を続けていた。
和合さんは「いつも穏やかで、若手にも心配りをしてくださっていた。一方で詩へのまなざしは厳しくりんとしていた。ずっと背中を追い続けている感覚だったので、今は喪失感が大きい」と悼んだ。