終戦直後の福島市中心部。県庁北側には、空襲による延焼を防ぐために建物が強制的に壊されたことでできた空き地があった。東西に細長く延びるその地に整備されたのは全長約600メートル、幅約40メートルの街路。戦争の爪痕から生まれた道は「平和通り」と名付けられた。 本土決戦や空襲に備えた建物の「強制疎開」が指示されたのは、1945年7月4日だった。取り壊しには青年団などが駆り出され、のこぎりやロープな...
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