1689(元禄2)年4月20日(陽暦6月7日)。江戸出発から23日目。朝、那須湯本をたった松尾芭蕉と河合曽良は、奥州街道の芦野宿(現那須町芦野)、その郊外の遊行柳を経由し同街道を北上した。 そして、上り坂を歩くこと10キロほどだろうか、たどり着いたのが「境の明神」。いわゆる「白河の関」、陸奥(みちのく)の入り口である。 ようやく、やって来た。大げさに言えば、ここで330年前の松尾芭蕉と、現在の...
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