元禄2(1689)年5月2日(陽暦6月17日)。信夫郡山口村(現福島市山口)の文知摺(もちずり)観音を後にした松尾芭蕉と河合曽良は、西へ向かった。目指すは、文知摺観音から十数キロ離れた「飯塚の里鯖野(さばの)」。温泉地として知られる現在の同市飯坂町である。芭蕉が飯坂を飯塚と記したのは、あえてなのか、聞き違いかは不明だ。 不自然な足取り 「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)によると「飯塚」に着いた...
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