【福島・飯坂】<笈も太刀も五月にかざれ紙幟> 家族の愛...はじけた感情

11/18 13:05

  • 有料記事
医王寺本堂にある佐藤一族位牌殿と橋本住職。中央に一族の位牌、右に継信の妻若桜、左に忠信の妻楓の人形が置かれている。人形は昭和40年代、地元婦人会から寄贈されたという

 元禄2(1689)年5月2日(陽暦6月17日)。信夫郡山口村(現福島市山口)の文知摺(もちずり)観音を後にした松尾芭蕉と河合曽良は、西へ向かった。目指すは、文知摺観音から十数キロ離れた「飯塚の里鯖野(さばの)」。温泉地として知られる現在の同市飯坂町である。芭蕉が飯坂を飯塚と記したのは、あえてなのか、聞き違いかは不明だ。  不自然な足取り  「おくのほそ道」(以下「ほそ道」)によると「飯塚」に着いた...

この記事をSNSで伝える:

  • X
  • facebook
  • line