なだらかな丘の上に、櫓(やぐら)がそびえ立つ。壮大な門を構え、石垣がぐるりと囲む。寛政の改革を主導した松平定信が白河藩主時代、小峰城に居城した。城は一度焼失したものの、江戸時代の史料を基に復元され、往時の姿を今に伝える。
小峰城の歴史は南北朝時代までさかのぼる。14世紀半ばごろに結城親朝(ちかとも)が築城した。現在の形にしたのは白河藩初代藩主を務めた丹羽長重。1629年ごろから約4年かけて大改修を行い、石垣を多用した平山城として整備した。しかし1868年の戊辰戦争白河口の戦いで落城、建物の多くが焼失した。
幸いにも、定信の時代に作成された実測図「白河城御(お)櫓(やぐら)絵図」が残っていたため、平成初期に天守代用の三重櫓と本丸の正門であった前御門が木造建築で復元された。
だが試練は続く。2010年に国史跡の指定を受けた翌年に東日本大震災が発生、石垣の約10カ所が崩落した。震災前の写真を基に、崩れた石垣が一つ一つ積み直され、19年4月に以前の姿を取り戻した。
現在、城内最大の櫓門「清水門」の復元工事が進められており、26年度末の完成を目指している。戦禍や震災を乗り越えた白河市のシンボルに、新たな価値が加わる。
