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華奢な色白美女が13年間で激変、50代で“別人級”の容貌を手に入れた女性「違う自分が見たかった」

08/01 10:01

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宮田みゆきさんの13年前の姿。45歳当時。(写真/本人提供)

 今年4月に投稿されたある女性の13年前と現在の比較写真に反響があり、「ええぇー?」「同一人物と思えない…」など驚きの声が相次いでいる。投稿したのは、50歳でボディビルを始め、トップビルダーに登りつめた宮田みゆきさん。40代まで「華奢な色白美人」として生きてきた女性が、50歳で突如「バッキバキの褐色美女」を目指した理由とは。宮田さんに激変人生について聞いた。

【画像】華奢な色白美人の13年後…58歳・宮田さんの現在の姿

■衝撃を受けた女性ボディビルダーのフリーポーズ「本当に美しかった」

――「筋トレなし!筋トレあり!」のメッセージとともに投稿された写真が大きな反響を呼んでいます。

「もともと新潟出身で、色は白かったんです。今では筋トレをバリバリやっているマッチョなイメージなので、白から黒への“ビフォーアフター”を対比したらおもしろいかなと思って投稿しました(笑)。白い方は、45歳頃にお友達と韓国旅行に行った時に、スタジオで撮った写真です。コメントやDMで『私は色白が好き』『やっぱり黒い方が!』といろいろな反響もいただいて、嬉しかったですね」

――筋トレを始めたのは50歳を迎えた年からということですが、それまでボディビルにご興味は…

「全然なかったですね。もともと運動は好きで、スポーツインストラクターとして働いていた時期もありましたが、出産してからは2人の息子の子育てに手いっぱいで、全く運動しなくなっていました。そんな中、長男がボディビルを始めて。大学までサッカーをやっていたんですが、ケガが多くて筋トレせざるを得なかったんですよね。そこで筋トレに目覚めて、そのうちボディビルを始めたんです。始めてわりとすぐ大会に出てそこそこの成績を収めたら、筋トレ歴20年以上の夫がライバル意識に火がついてしまって(笑)。同じ階級で舞台に立つことになったんです」

――親子対決に!?

「そうなんです。毎回互角に競っている感じで、当時は私も応援に行っていました。でも、減量の食事管理も大変だったし、2人が減量中でイライラしてぶつかり合ってるのを見るのも嫌で。でもある時、応援に行った大会で、女性ボディビルダーのフリーポーズを見たんです。肉体美を表現する様が本当に美しくて、私もやってみたいと思ったのが最初です」

――突然、心を奪われてしまった?

「とにかく衝撃的でした。一瞬で魅了されましたね。それが2015年、50歳を迎える年でした。子育てもひと段落して50歳になるけど趣味もないし、これといって自分が持っているものもない。何かひとつ誇れるものが欲しいと思って、夫に話したんです。違う自分が見たかった。そしたら、『じゃあ、俺が肉体改造してやる!』って(笑)」

――筋トレ歴20年のご主人がコーチに。心強いですね。

「それが、周りも引くほどかなりのスパルタで、星飛雄馬並みの(笑)。でもやるだけのことは全部やろうと思って必死でしたね。そのうちに、“腹筋ってこんな感じなんだ”とか、自分の体を見るのがだんだんおもしろくなってきて。トレーニングは大変でしたけど、苦しみよりも変化する喜びの方が大きかったですね。積み重ねでできあがっていくので、お金では買えないじゃないですか。それも尊く感じました」

――そして4ヵ月後、「フィジーク」の女性大会で見事、優勝を。

「すごく嬉しかったですね。ただ、心身ともにあまりに辛かったので、それ以降は主人にコーチを頼んでいません(笑)」

■色白より褐色、服の露出は高く…筋トレ後に変化した“美しさ”の基準

――美意識、美の基準はどのように変化しましたか? もともとは青いドレスが映える透き通るような色白肌の持ち主でした。

「そうですね。昔は肌が白いことをホメられるのがうれしかったですけど、今はちょっと色が薄くなってくると『白くなってきちゃった!焼かなきゃ!』って思います(笑)」

――“美しい”と思う女性像そのものに変化が?

「今でも色白美人も素敵だな、とは思います。ただ、今の私が目指す“美しい身体”は、フリーポーズで人々を魅了できる筋肉のある身体。黒い肌の方が筋肉の陰影がはっきり見えて、美しいんです。だから、黒くいたい」

――もともとが色白だから焼けにくかったのでは…

「痛かったですね~。大会にでるために初めて日焼けサロンで肌を焼いた時はシャワーが当たるのも痛くて、お風呂はとても入れない(笑)」

――どんな苦痛を伴っても、理想の身体を追求したかった、と。洋服の好みやスタイルにも変化はありますか?

「体が絞れてくると、半袖よりノースリーブがいいなと思ったりはします。今はパーソナルトレーナーとしてジムで教えていますが、私の生徒さんも、最初はフレアスカートだった方が、おなかを出したりどんどん露出が増えてくる感じはあります。脂肪がそぎ落とされると自信がついて、つい見せたくなってくるんですよね(笑)」

■「生理の止まる過度なトレーニングはダメ。人間らしい生活を送りながら体作りできることを証明したい」

――近年の筋トレブームから、宮田さんの出場されていた「女子フィジーク」も知られるようになってきましたが、女性ならではの難しさなどは…

「若い子は、生理があるとむくんでしまうし、ホルモンの関係で減量もしづらい部分があります。でも過度のダイエットをしてしまうと生理も止まってしまうので、そこまでするのはよくないんですよ。やはり定期的にきちんと生理がくるのが理想なので、若い生徒さんには『ちゃんときてる? 食生活は大丈夫?』って聞くようにしています」

――とはいえ、減量は必要ですよね?

「フィジークは特に、皮一枚にしないといけない競技で、体脂肪が1桁じゃないと勝てない現実があります。なので、今のトップ3はみんな50代、60代で、若い子はいないんですね」

――裏を返すと、50代、60代からでも始められて、トップを狙えるスポーツということでしょうか。

「それがすごいところでもあります。私の生徒さんでも、40代、50代、60代で始められる方がかなり多いです。年齢を重ねてもトレーニングすることで確実に筋肉はつく。ただ、極端なトレーニングは健康を害してしまう場合もあるので、注意は必要です」

――健康的にトレーニングするには、やはり食事管理が重要ですか?

「一般的には、“筋トレはササミとブロッコリーを食べて、プロテインを取らないとだめ”というイメージがあると思うんですけど、私はその固定概念を覆したくて。ササミとブロッコリー以外も食べるし、プロテインも取らないですね。きちんと人間らしい生活を送りながら、体作りができることを証明したいと思っています」

■59歳で再びステージに復帰「年齢を重ねても体は変われるし、動かせる」

――1度は引退されて、股関節の手術をしたと伺いました。

「股関節の痛みがピークで、車の乗り降りも、歩くのもやっとという状態になってしまって、2021年に日本選手権で3位になった後、競技を引退して手術をしました。今回、人工股関節が入ってからは初めてになる9月の大会に向けてトレーニングをしているところです」

――もう一度、競技に復帰したいと宮田さんを突き動かしている思いは?

「人工股関節を入れることをためらっていたり、悩んでいる方もいっぱいいらっしゃると思います。来年還暦を迎えますが、股関節手術をしても、60歳になっても、体って変われるし動かせるよっていうメッセージを伝えたい。もちろん、大好きなフリーポーズを、もう1回舞台で見せたい思いもあります。それと、『先生と一緒の舞台に立ちたい』って言ってくれる生徒さんたちがたくさんいて。それってすごく素敵なことだと思うので、その声にも応えたいと思っています」

――パーソナルトレーナーとして指導しながら、ご自身の大会復帰にむけて、コーチについてトレーニングを重ねる日々…まさに“筋トレ尽くし”の生活ですね。

「実は筋トレ…嫌いなんです。苦しいです(笑)。お好きな方もいっぱいいらっしゃいますけど、私はどちらかというと表現することが好きで。自分の好きな曲で、好きな振付で表現することが目的なんですよね。そのための手段として筋トレが必要なので、舞台の上に立っていることをイメージしながら、日々頑張っています」

――最後に、今後の目標や夢があればお聞かせいただけますか。

「誰よりも表現力が豊かで、美しいポージングをした人がもらえる“ベストアーティスティック賞”という賞があるんです。私も過去に2回ほどいただいたことがあるのですが、レベルの高い大会でまたその賞がいただけたらいいなと。筋肉では負けてしまうかもしれないけれど、表現力でベストアーティスティック賞をとることが、今の私の夢です」

【PROFILE/宮田みゆきさん】パーソナルトレーナー。肩甲骨研究家。2016年日本クラス別ボディビル選手権 優勝、日本ボディビル選手権 6位、2017年JAPAN OPENボディビル選手権 優勝、東京ボディビル選手権 優勝、日本&グアム親善大会 優勝、べストアーティスティック賞2回受賞、2019年 マッスルコンテスト・ビキニノービス 優勝、マッスルコンテスト ビキニプロクォリファイ 準優勝、2021年 日本ボディビル選手権 3位入賞。2024年秋の大会で競技復帰を予定。

(取材・文/辻内史佳)

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