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生瀬勝久、当初の芸名・槍魔栗三助から本名に変えた理由告白 兼近大樹&満島真之介と逗子旅

08/02 18:00

  • エンタメ総合
3日放送『メシドラ 兼近&真之介のグルメドライブ』より(C)日本テレビ

 俳優の生瀬勝久が、あす3日放送の日本テレビ『メシドラ 兼近&真之介のグルメドライブ』(毎週土曜 前11:55※関東ローカル)にゲスト出演する。

【番組カット】きれいな夕日をバックに…楽しそうな生瀬勝久たち

 同番組は、兼近大樹(EXIT)と満島真之介が、おいしいものを食べにドライブする台本も仕込みもない旅番組。誰が旅の代金を支払うかは、ゲームで決める。今回は、神奈川・逗子市をめぐる。

 最初の話題は、俳優としての達成感について。学生時代から30年以上毎年舞台に出演してきた生瀬にとって、コロナ禍の1年で初めてそれが途絶えた時は「自分にとってはいろいろな思いがあってすごいこと」だと思っていたが、「周りの人にとってはどうでもいいこと」なんだと感じたという。出演したドラマの視聴率が良かったとしても「みんなの力」で「自分の手柄ではない」という思いがあると話す。

 満島も「実感として返ってこないものはいっぱいある」と共感すると、兼近は「俳優さんたちってどこで気持ちよくなるんだろう」と思うことがあると語る。これに対し、生瀬が「これ以上は無理ってとこまでやったのか?っていう自問自答はある」と俳優としてのストイックな一面を見せる。

 オーシャンビューのおしゃれなカフェ「surfers逗子」では、テラス席で生瀬の若手時代の話をする。生瀬の最初の芸名は槍魔栗三助(やりまくりさんすけ)。学生時代に所属していたお笑い研究会で鰻登源八(うなぎのぼりげんぱち)と漫才コンビを組んでいたという。その後、市議会議員として教育問題に取り組んでいた母親への配慮で名前を変える決断をし、母親から提案された生瀬凡太郎と生瀬伯柳を蹴って本名の生瀬勝久にしたと明かす。

 そして、34、5歳の時に蜷川幸雄さんの舞台に出演した時の話も。「真田広之さんがハムレットで松たか子ちゃんがオフィーリア。まだ全然売れてない松重(豊)くんとか田中哲司とか。みんなで釣りとか行ったもん」と楽しそうに思い出を語る。

 友達は作らず、冠婚葬祭にも全然行かないという生瀬は「八嶋智人くんが結婚するときに行くって言ってドタキャンして、それが悪かったな」と思ったことから、「だからもう行くって軽々しく言わないでおこう」と驚がくの結論に至る。「大体別れるじゃん?結婚したって」と滅茶苦茶な生瀬の発言を聞いた兼近は「全く同じです」と反応。相方・りんたろー。の結婚式でさえ「行きたくなさ過ぎて、金1銭も払わないでメシだけ食って帰りました」と明かす。

 「披露山公園の展望台」「surfers逗子」「レストラン ラ・マーレ」「長柄桜山古墳群」などをめぐった今回の旅。木の枝を使った超地味なゲームで誰が支払うのかを決める。

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