生きづらさの背景の一つに「空虚な承認ゲーム」があるのかもしれない。学校や会社などで仲間外れにされぬよう言動を周囲に合わせ、何とか承認欲求を満たす日々を、評論家山竹伸二さんはそう表現する
▼承認欲求そのものは自らの価値を知り、生きる意味を見いだすのに欠かせず、否定されるものではない。ただ世間の価値観と懸け離れることもある。山竹さんはゆがみを正す手だてを、理想的にはと前置きし、人間同士の心のケアに求める(「ひとはなぜ『認められたい』のか」ちくま新書)
▼大津市で保護司の男性の遺体が見つかった。逮捕された男は犯罪歴があり、男性から更生支援を受けていた。男は周囲に「頑張って仕事をしているのに正当な評価をされない」と伝えていたという
▼過去に罪を犯したことで周囲から冷たい目で見られる、あるいは見られているのではないかと疑心暗鬼になることもあろう。そうした中にあっても保護司は監視ではなく、支援対象者を一人の人として認め、立ち直るための手を差し伸べる
▼保護司の善意で成り立つ制度が揺らいでいる。男性の命を奪った暴挙によって、支援を必要とする誰かの生きづらさが増すことほど、悔しいことはない。