いまの時期、会津若松市の中心街ではメモ帳やノートを手にして歩く小中学生をよく見かける。修学旅行の子どもたちだ。人気のスポットはもちろん鶴ケ城。幕末の悲劇の舞台を訪れ、子どもたちは歴史への関心を高めているようだ ▼明治に入り、各地で城の取り壊しが始まり、跡地は民間に払い下げとなった。鶴ケ城も同じ危機にさらされた。政府が没収した鶴ケ城を競売にかけたためだ。その窮地を救ったのが、元会津藩士の遠藤敬止(...
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