浪江町に4日、福島国際研究教育機構(エフレイ)などに集まる研究者と地域住民が交流するための拠点として、浪江「あの日」の家がオープンした。東京大大学院生らでつくるグループが主体となり、エフレイの施設整備予定地に程近い川添地区の民家を改修した施設で、民間レベルでの交流促進を図る。完成に至るまでには、東日本大震災後に白河市で育まれた3人の結び付きがあった。
避難先、白河での絆生かす
拠点となった住宅は、神奈川県に住む会社員の若月稔彦さん(24)の実家。若月さんは東京電力福島第1原発事故で家族と共に白河市に生活の拠点を移した。やがて同級生で白河市出身の冨井治弥さん(25)と親しくなった。2人は高校生向けのコミュニティカフェ「エマノン」に通い、カフェの運営団体代表で矢祭町出身の青砥和希さん(32)とも親交を結んだ。
青砥さんは教育やまちづくりの研究者としても活動しており、浪江町にエフレイの整備が決まると、研究者と地域を結ぶ場が必要だろうと考えた。その考えを周囲に語ったところ、若月さんの家族が話し合い「空き家にしている家をより有効に活用してもらえるなら」と申し出た。「では誰に動いてもらおうか」。その役目は、東大大学院に進学し、建築を学んでいた冨井さんが引き受けた。
冨井さんは大学院の仲間とチームを組み、改修を進めた。多目的に使用できるウッドデッキを設置したほか、周囲には自由に棚や椅子、作業台を設けることができるよう、工事用の足場を立体的に組み合わせた。
住宅の2階には、震災当時のままの姿が残されている。「あの日」の家という名称は、震災の記憶をとどめる空間で、新たな交流が生まれることを願って名付けた。ロゴは足場をつなぐ部品の形をモチーフに、大学でデザインを学んだ若月さんが仕上げた。
4日には大学院生や地域住民、地元に住む研究者が集まり、交流会を開いた。白河で知り合い、思いを共有した仲間が、浪江の空き家に新たな命を吹き込んだ。当面はイベントスペースなどとして活用していく考えで、3人は「人と人が結び付く拠点になればいい」と語った。(菅野篤司)