現在では栄養不足で病気になるというのはまれだが、大正期まではビタミン不足によるかっけが、国民病として恐れられた。徳川十五代将軍のうち、家治、家定、家茂の3人がこの病で亡くなっている。江戸から地方に行くと快癒したため、江戸わずらいといわれた ▼原因は江戸時代に都市部で広まった白米中心の食習慣で、玄米や豚肉などに含まれるビタミンB1が十分に摂取できていなかったこと。地方はまだ玄米が中心だったため、不...
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