東日本大震災、東京電力福島第1原発事故直後の2011年3月12日、いわき市に全町避難し、同16日には会津美里町への2次避難を開始した。政府は4月22日に町のほぼ全域を警戒区域に指定した。
松本幸英町長は14年5月29日、早ければ「15年春以降」とする帰町判断を表明した。15年9月5日、全域に避難指示が出た7町村で初めて避難指示が解除され、住民の帰還が始まった。
町は国道6号沿いの同町北田地区を復興拠点に位置付け、新しいまちづくりを進めた。18年6月には拠点内に公設民営の商業施設「ここなら笑店街(しょうてんがい)」が誕生し、住民の生活の利便性が向上した。
農業再生に向け、町は加工品などの需要が見込めるサツマイモの栽培に着手。17年に作付面積約1.5ヘクタールから始まり、20年度は約42ヘクタールに拡大した。
19年4月には、健康増進とスポーツ振興を目指し浜通り最大規模の屋内体育施設「ならはスカイアリーナ」を整備した。