国による賠償が行われるのは倫理的に見て当然だ。被害者救済の道筋が立った意義は大きい。
旧優生保護法下で不妊手術を強いたのは憲法違反だとして、障害のある人らが国に損害賠償を求めた5訴訟の判決で、最高裁大法廷が旧法は違憲とし、国の賠償責任を認める初の統一判断を示した。これにより、後続の訴訟は今回の枠組みによって判断されることに加え、国は賠償の枠組みを定める見通しとなった。
最高裁は判決で、不妊手術の強制は憲法の保障する「自己の意思に反して身体への侵襲を受けない自由」に対する重大な制約で、旧法は個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反すると指摘した。その上で、国会が旧法を制定したこと自体が違法とした。
旧法制定から強制不妊の部分を削除する形で法改正された1996年まで50年近くにわたり、障害のある人を差別し、その尊厳を奪ってきたことは許されない。
被害者の提訴をきっかけに手術された人には320万円の一時金が支払われているものの、受給者は対象の1割にも満たない。不法行為などに伴う賠償とは本質的な意味合いが異なる。国は、賠償を命じられたことを真摯(しんし)に受け止めなければならない。
最大の争点となったのは、高裁判決で判断の分かれた、不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」が適用されるという国の主張が妥当か否かだ。
最高裁は、国が長期間、補償しないとの立場を取り続けてきたことなどを挙げ、「国が賠償責任を免れることは著しく正義・公平の理念に反する」と指摘し、89年に示した除斥期間の考えを変更すると説明した。最高裁が判断を変更することはまれだ。
これまでの判断を変えてでも救済の必要があるとした今回の判決は、基本的人権の尊重を第一にうたう憲法に立脚する司法の矜持(きょうじ)を示したもので、高く評価できる。
岸田文雄首相は判決後、補償について早急に検討するよう指示した。国としては方向転換を余儀なくされた形となる。
判決が指摘するように、国はこれまで被害者の救済を長く放置してきた。最高裁判決を待たず、国が賠償すると決めることもできたはずだ。それをせず、最高裁まで賠償責任の有無を争ったこと自体が、高齢化の進む被害者の救済を遅らせたのは明らかだ。
被害者約2万5千人のおよそ半数は既に死亡しているとみられている。賠償制度の構築には、一刻の猶予も許されない。