江戸末期、現在の東白川郡でたいまつなどをかざした200人余りの農民が、村役人の名主の家を打ち壊した。首謀者ら58人は現場に駆け付けた代官所の役人に捕まり、投獄される事態となった ▼現地は水戸藩から伝わった、コンニャク芋の栽培が盛ん。生産された芋は良質で全て水戸に納められたが、販売方法を巡り、利権を得ようとした名主と、収入減を恐れた農民が対立したことが発端だ。「こんにゃく騒動」として記録が残る...
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