文学者の相馬御風(ぎょふう)は、人の手をじかにかたどった石こうを見た。精巧なのだがどうも生きた感じはしない。むしろ芸術家が目で見て作った手の方が、生きた感じがあると随筆に記す ▼違いは何か。相馬は、表現しようとしているものの魂を作者がつかむか、つかまないかにあると説く。例えば人形浄瑠璃は、見ようによっては作りや動きが不自然だが、作者と使い手の心の働きが主となっているからこそ、生命を感じるという ▼...
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