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【戦後80年ふくしま】終戦まで母国帰れず 海外から抑留所へ、奪われた自由

2025/08/12 11:30

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桜の聖母短大に飾られた終戦直後に撮影された抑留者の写真。140人が3年間にわたって抑留された(紺野滋さん提供)
1945年8月25日に米艦載機が撮影した福島の抑留所。抑留所を示す「PW」の文字が掲示され、塀の外には米軍機から投下される支援物資を目当てに集まった日本人も写る(米国立公文書館蔵)

 福島市の桜の聖母短大のある一室の棚に、洋風の建物の前に外国人が並んだ2枚の古い写真が飾られている。海外で撮影されたかのように見えるが、終戦直後に福島市内で撮られた写真だ。写っているのは外国の民間人。140人が3年間にわたり、同短大敷地内にあったコングレガシオン・ド・ノートルダム修道院に抑留されていた。 1942年7月11日午前、多くの外国人が福島駅で列車を降り、警護されながらバスや徒歩で修道院に...

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