日本が終戦を迎えた1945年8月15日を過ぎても、現地への残留や戦闘の継続を選んだ日本人がいた。彼らは「残留日本人」「残留日本兵」と呼ばれ、アジア各地で内戦に加わるなどしたとされる。藤田幸定さん(享年75)=郡山市出身=も、中国国民党と中国共産党の間で展開された内戦に巻き込まれ、国民党側の日本人として銃を握った。藤田さんが戦中、戦後に書いた手記には、当時の状況が克明に書き記されていた。 手記によ...
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