敗戦の色が濃くなっていた1944年2月、西郷村の村長だった大倉正治さんは、役場に届いた召集令状の中に自分の名前があるのを見つけた。戦況の切迫と兵員不足のため、村長と言えども召集を免れ得なくなっていた。「赤紙」を受けた大倉さんは4月に入隊し、失職。在職はわずか68日間だった。立村百年史には「村政史上、最も悲劇的な村長」と記されている。 兵役経て村職員に 大倉さんは1901年、村の裕福な農家だった白...
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