「次の飯舘の姿」を考えて 東京都出身の矢野淳は、父がNPO法人を設立して飯舘村の復興に関わったのをきっかけに、高校生の頃から村を訪れるようになった。「建物はあるけど、人が全くいない風景が衝撃的だった」。絵を描くのが好きだった矢野は、地元の活動のポスター作りなどを手伝うようになり、村に知人が増えていった。 東京芸大の建築科に進学すると、建築や芸術の観点から飯舘について考え始めた。その根底には、東...
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