• X
  • facebook
  • line

バド大堀彩、4強ならず 両親の前で試合、あふれた涙

08/04 07:35

試合後に再会し、母親の麻紀さんに抱き付く大堀(右)と感慨深く見守る父親の均さん(左)
テレビを通して試合経過を見守り、大堀を応援する来場者=3日、会津若松市

 【パリ=報道部・佐藤智哉】パリ五輪第9日の3日、バドミントン女子シングルスの準々決勝が行われ、世界ランキング10位で会津若松市出身の大堀彩(27)=トナミ運輸、富岡高卒=は同4位でリオデジャネイロ五輪優勝のカロリナ・マリン(31)=スペイン=に0―2のストレートで敗れた。

 大堀は第1ゲーム、粘り強いラリー戦を繰り広げた一方、硬さも目立ち13―21で落とした。第2ゲームは力強いスマッシュで応戦。ネット際の攻防でも強さを見せたが、14―21で屈した。

 大堀は「攻め、守り、全ての部分において相手が上だった」と結果を受け止めた。

 本県に向け「福島の応援は肌で感じていた。自分のため以上に、周りのために戦いたい気持ちが強かったので、その思いが少しでも届いていればいい。自分の頑張り以上に周りのサポートがあり、感謝の気持ちでいっぱいです」と語った。

 大堀は五輪初出場で1次リーグを2戦全勝で通過。決勝トーナメント1回戦ではシンガポール選手を2―1で破った。

 「自分の中では満足」

 親子で挑んだ夢舞台での戦いが終わった。3日に行われたパリ五輪バドミントン女子シングルス準々決勝。大堀は敗れ涙をのんだが、後悔はなかった。「センターコートで本当にやり切る試合をできて、自分の中では満足だ」と胸を張って言い切った。

 実業団で活躍した父均さん(56)と母麻紀さん(56)の間に生まれた。幼稚園でラケットを握ると、富岡一中、富岡高でレベルの高い環境でもまれ「五輪出場」の夢が芽生えていった。ただ、それは簡単にかなえられたものではなかった。富岡高を卒業し、実業団で力を付け、2018年には日本A代表入りを果たした。しかし東京五輪出場を逃した後に主要国際大会に派遣されないB代表に降格。バドミントンをする楽しさすら忘れ「引退」が頭をよぎった。

 大堀を救ったのが父の言葉だったという。「自分で納得できるなら辞めてもいい。ただ、悔いが残る辞め方はするな」。富岡高では監督、トナミ運輸ではヘッドコーチとして人一倍厳しい指導を受けてきた父からの言葉に大堀は、はっとした。「まだ何もしていない。辞められない」

 覚悟が決まると、バドミントンへの向き合い方が変わった。「日々自分自身と闘って、少しずつ花開いていく感じだった」。眠れない日、うまくいかない日もあった。それでも昨日より今日、今日より明日と前を向いた。「もう潮時」という内なる声をその都度打ち消し、ようやく立てたのが、この五輪の舞台だった。

 満員の観客に囲まれたセンターコートでの準々決勝。16年リオデジャネイロ五輪覇者のカロリナ・マリン(スペイン)に対して最後まで食い下がった。見応えのあるラリー戦を繰り広げ、要所では長身からの力強いスマッシュで応戦した。均さんも競技者時代に憧れた五輪の舞台。そこで戦う娘の姿に「かっこよかった。おやじ冥利(みょうり)に尽きる。自慢の娘です」と思いがあふれた。

 「父は昔から私の一番の理解者で、ここまでこられたのも父の存在が大きかった。私の試合を見るのが怖いという母も観客席にいてくれて、両親の前で試合ができてよかった」と涙した大堀。親子で受け継いだ情熱と技はパリで花開いた。

 若松からもエール

 4強入りを懸けた大一番に臨んだ大堀彩を応援しようと、大堀の出身地の会津若松市で3日、急きょ市主催の応援会が開かれた。約50人の来場者が大舞台で奮闘する大堀に声援を送った。

 市役所内に会場を設け、市内のバドミントン関係者たちが応援に集まった。来場者はテレビに見入り、大堀が得点するたびに拍手が巻き起こった。勝敗が決すると少しの沈黙の後、すぐに大堀をたたえる温かい拍手が応援会場を包んだ。

 会津ジュニアバドミントンクラブに所属する同市の佐藤陽菜(ひな)さん(12)は「すごく長いラリーがあったり、短い攻防だったり、結果は残念だったけれど勉強になった。きょうの試合を見て、またバドミントンを頑張ろうと思った」と話した。

この記事をSNSで伝える:

  • X
  • facebook
  • line